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南禅寺の大寧軒が4年ぶりに公開されるので行ってきた。 地下鉄東西線の蹴上駅1番出口を右に行くとレンガ造りのトンネルが右手に見えてきます。 これが通称「ねじりまんぽ」です。 扁額がはめ込まれています。 「雄観奇想」と書いてあります。 見事な眺めと優れた考えである、という意味だそうです。 第3代京都府知事、北垣国道筆です。 「ねじりまんぽ」というのは、強度を高めるためにらせん状にレンガを積み ねじれている様子からこう呼ばれているそうです。 これは京都検定1級の第8回1-10問で出ましたねー。 このトンネル内部のレンガの積み方です。 写真ではちょっとわかりにくいなー。 テキスト外の問題で、そんなんあるの?と思ってたけど、今日初めて見ましたねー。 今頃かい!ですわ。 トンネルの外側。 同じく北垣国道筆の扁額があります。 消えかけてるけど、「陽気発処」と書いてあります。 意味は、どのようなことも必ず成し遂げることができる。だそうです。 南禅寺界隈には、大きなお屋敷がたくさんあります。 そのなかの一つ、「何有荘」(かいうそう)。旧稲畑勝太郎邸です。 現在はアメリカで第3番目といわれるお金持ちの所有になっています。 80億円したとか・・・。ひえー。 中はいま工事中で迎賓館のようなものが建つそうです。 御所の迎賓館を建てた職人さんが集められているらしいですよ。 すごいですね。 と、前振りが長かったですが、大寧軒に到着です。 大寧軒は、南禅寺の塔頭寺院であった「大寧院」の跡に、明治末期に作られた池泉回遊式庭園です。 茶道の家元・薮内家11代透月斎紹智によって作られたもので、飛び石の打ち方や苑路などに趣向を凝らした路地風の庭園となっています。(頂いた説明書きより) 入り口の門です。 扁額です。 入って左にある中門です。 中門をくぐるとお庭が見えてきます。木々の緑と苔の緑が美しい! 470 坪の庭園です。 大日山を借景としています。 ガイドの方に苔を踏まないように!! 飛び石の上を歩いてくださいと何度も注意されました。 普段公開されていないので、苔が確かに見事でした。 苔の拡大。 大寧軒の見どころの一つ、三柱鳥居です。 「京都三珍鳥居」の一つ、蚕ノ社の鳥居を模したものといわれ、鳥居を三角形に組み合わせ平面は正三角形となっています。 蚕ノ社の鳥居より小さいです。 足元中央からも水が水が湧き出ています。 3メートルの滝です。 琵琶湖疎水の水を取り入れ落差を利用して滝を表現しています。 岡崎界隈の別荘群には疎水の水を庭園に引き込んでいるところが多くあります。 前述の何有壮や無鄰菴など。神社では平安神宮もそうです。 ガイドさんのお話しで一番驚いたのがこれ、しじみ!! 瀬田のしじみが琵琶湖疎水に運ばれここまでやって来た! へー、ようお越し。 邸内の茶室です。 「環翠庵」です。 二畳台目の茶室で、待合(休憩所)を備えています。 茶室の扁額です。 庭園内には様々な形の手水鉢がありました。 灯籠も様々な形がありました。 全部で9基あると聞いたけど、これで全部かなぁ。 これは笑ってるみたいだなぁ。 春日型、雪見型、織部型などがあるらしいが、どれがどれかわからん。 これはなんだ? 燈籠じゃないな。多重の塔? これは「玄武岩」といい、城崎温泉の近くにある玄武洞(天然記念物)の柱状列石を運び込んだ庭石で、現在は搬出不可能な非常に珍しい銘石だそうです。 大寧軒をでます。 出たところの道沿いに疎水の水が流れています。かなりの水流です。 京都は疎水の水がなければみんな生きていけません。 明治18年から開始された琵琶湖疎水工事にたずさわった方々に感謝いたします。 もと来た道を引き返してねじりまんぽまで戻ってきました。 手前の左手に坂道がありそこからインクラインへむかいます。 ゆるやかな坂ですが上りきるとちょっと息切れ。 インクラインです。 ここは桜の名所でもあります。 上のほうは、こんなかんじ。 インクラインとは、傾斜面にレールを敷き動力で台車を動かして舟を運ぶ装置のことです。 蹴上から九条山までの582mで高低差36メートルの急勾配をインクライン(傾斜鉄道)で船を運びました。 蹴上の発電所の電力を利用して台車に船を乗せ上下させていました。 もうちょっと上っていくと九条山ポンプ場があります。 大寧軒拝観の巻きはこの辺で終わりです。 #
by kyoshugei
| 2015-09-25 20:08
| お寺
銀閣寺の帰りに久しぶりに哲学の道を通って南に下がりました。 哲学の道沿いにはいろいろなお寺や神社があります。 その中の一つ、法然院へ行って見ました。 結構坂の上です。 雨が降っていたので足元が滑らないように歩きました。 山門です。 茅葺の趣のある静かな佇まいです。 山門から振り返ると参道がますっぐ伸びています。 山門を入ると目に入るのが、白砂壇です。 ここにも白砂を使った造形物があるのですね。 水を表す砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しているそうです。 近くで見るとこんな感じ。 こちらはこんな感じ。 池に架かっていた橋の上から鯉が見えました。 境内は散策自由ですが、方丈など建物の中には決まった期間しか入れません。 銀閣寺と違いほとんど人気がなかったです。 でも心が静かーになるお寺です。 紅葉の頃はまた美しいだろうな。 #
by kyoshugei
| 2015-09-14 22:29
| お寺
雨の日曜日、銀閣寺へ行ってきた。 いまさら銀閣寺かという感じだけど、わたし多分初めてだと思う。 こんなメジャーなお寺にまだ来てなかったというのが、あははははーですわ。 えー、それでは解説いたします。 総門へ至る参道です。 日曜日だったので観光客が多かったです。 雨の日なのに着物姿の若い人もちらほらと。 銀閣寺といえばこれ、国宝の銀閣(観音殿)です。 一層が心空殿(和様)、二層が潮音閣(禅宗様)と命名されています。 潮音閣の内部は漆塗りで、観音像が安置されています。 見学はできませんが、TVで見たとき漆黒の中に金色の観音像が浮かび上がり 何とも言えない荘厳な雰囲気でした。 銀閣寺の正式名称は、慈照寺。 銀閣寺は足利義政が造営した山荘、東山殿が始まりです。 義正の法号、慈照院から慈照寺と名付けられました。 銀閣寺は臨済宗で相国寺の山外塔頭です。 銀閣の横に向月台という円錐台形の砂を固めたものがあります。 もう一つ、銀沙灘という台形に盛り上げて線の模様をつけたものもあります。 二つとも不思議ですねぇ。お寺にこんなものがあるんですね。 境内の川で運ばれてきた白川砂を利用したといわれています。 砂と水だけを使って固めてあり、一か月はこの形が持つそうです。 専門の職人さんが来て手入れされるそうです。 向月台の背後には月待山があります。お月さんが出た時に何か美しい事が おこるんでしょうか? 向月台や銀沙灘は江戸時代の3代将軍家光の頃にできたそうです。 義政公の時代にはなかったんですね。 こんな話を聞いたことがあります。 銀閣に銀箔が貼ってないわけ。 ○財政が厳しかった ○貼るつもりなし ○向月台と銀沙灘に月光が反射して銀色に? などなど。 真偽は謎のままです。 本堂(国宝)の中から見た銀沙灘。 本堂では、与謝蕪村、池大雅の襖絵を鑑賞しました。 今日は特別に本堂と東求堂、弄清亭の内部を見学する貴重な体験をさせて頂きました。 本堂と東求堂の間に銀閣寺型手水鉢がありました。 花頭窓から見た銀沙灘。綺麗ですね。 国宝の東求堂です。 檜皮葺の書院造です。 観音殿(銀閣)とともに、東山殿造営当時の遺構として現存している大変貴重な建物です。 義政時代には持仏堂、阿弥陀三尊を祀る阿弥陀堂でした。 堂内の「同仁斎」と称する四畳半の室は義政の書斎で草案茶室の源流。 現在に続く四畳半の間取りの始まりといわれています。 内部の写真は撮影禁止なので こちらの画像を見て下さい。 ガイドさんが画像のように障子を少し開けて下さったので美しい景色が 本当に掛け軸のように見えました。 違い棚の後ろの絵はほとんど消えかけていますが、狩野正信(元信だったかな?ちょっとあいまいでーす)の梅の絵だとガイドさんが教えてくださいました。 この同仁斎の室飾りに、東山御物(ひがしやまぎょぶつ)と呼ばれる美術工芸品の数々を並べていたとも伝えられてるそうです。 また、これらが後にいう東山文化として開花し、華道、茶道、香道をはじめとする諸芸能の源流として、現代にいたるまで脈々と伝えられているそうです。 同仁斎から見える庭の池です。 次に弄清亭(ろうせいてい)を見学しました。扁額です。 この建物は義政公お好みの香座敷で、現在に至っては志野流香道の香座敷となっているそうです。 平成8年に改築され、見事な奥田元宋画伯の襖絵で囲まれていました。 弄清亭から見たお庭です。 緑が綺麗です。 次に特別名勝・特別史跡のお庭(お庭の国宝みたいなもんです)を拝見します。 錦鏡池です。 京都検定の時、金閣寺の鏡湖池、龍安寺の鏡容池と覚えるのややこしかったなぁ。 思い出すわ。 時間を限られて拝見するので、なかなかゆっくり写真が撮れず 良いアングルで写せませんでした。 もっとはっきり観音殿と向月台が撮れてたらなぁ…。 洗水泉の立札 一本の美しい滝が流れ込んでいる泉です。 お茶の井の立札。 お茶の井です。 銀閣寺の庭は西芳寺の庭を模して造られているので苔が美しいです。 雨の日だったので余計に綺麗でした。 展望所から見る銀閣。 結構上の方まで登ってきます。 知らんかった。銀閣寺ってもっと平地だと思ってた。 今頃なにゆうてんにゃですけど。 雨に煙る山並み。 作庭家としての才能もあった義政公は、禅僧夢窓国師の作庭による西芳寺(苔寺)にならって東山殿を構成したそうです。 西芳寺と同じように庭園は上段と下段に分かれ、下段は池泉回遊式庭園の発祥とされ中心に錦鏡池があります。 義政公がその生涯情熱をかけて造営した東山山荘。 しかし義政公は観音殿の完成の直前に亡くなっています。 この荘重な姿を見ていないのですね。 さぞ残念なことだったでしょう。 #
by kyoshugei
| 2015-09-06 21:13
| お寺
浄瑠璃寺の次にバスで岩船寺へ移動した。 岩船寺の山門です。 岩船寺は天平元年(729)聖武天皇が行基に命じて阿弥陀堂を県立したのに始まります。 関西花の寺二十五ヵ所霊場第十五番です。 季節ごとにいろんな花が咲くことでも有名です。 本堂です。 本尊の阿弥陀如来坐像(重要文化財)や四天王立像などが安置されています。 重要文化財の三重塔です。 写真の撮り方がへたなので、いがんで写ってるけどすんません。 『仁明天皇が智泉大徳の遺徳を偲んで承和年間(834~847)に宝塔を建立したと伝える。』 とお寺のパンフにあります。 浄瑠璃寺の三重塔とどう違うかな。 五輪塔です。これも重要文化財です。 東大寺別当平智僧都の墓と伝えられています。 三重塔から見た池です。 都忘れが咲いていました。 大手毬の花です。 逆光で撮影してしまったので色がわかりませんが、真っ白のきれいな花でした。 むむむ、もうちょっと上手に撮れんもんかね。 境内にはアジサイもたくさんありましたが、訪れたときはまだ早く 6月には綺麗に咲きそろうでしょう。 この辺りは当尾(とうの)京都府歴史的自然環境保全地域です。 当尾とは? 木津川市観光ガイドホームページより 『木津川市内東南部の加茂町当尾(とうの)地区は古来、南都仏教の影響を色濃く受け、 世俗化した奈良仏教を厭う僧侶が隠遁の地として草庵を結び、念仏に専心したと伝えられています。 やがて草案が寺院へと姿を変え、塔頭が並び「塔の尾根」ができ、いつしか「当尾」と呼ばれるようになったといわれます。 浄瑠璃寺や岩船寺周辺は小田原と呼ばれ、寺院や修行場が散在し、多くの磨崖仏が造立されました。 これらは道を行き交う人々をやさしく見つめてくれる道しるべとしての石仏たちです。 石仏は当尾の里の広範囲にわたり、散策コースの道中では旬の野菜が並ぶ吊り店(露店)など、四季折々の美しい山村の風景が楽しめます。』 木津川市でもらったパンフ記載の当尾の由来はちょっと違うなぁ。 『この当尾一帯は、古くは浄土信仰の霊地として栄えたところであり、昭和26年に 加茂町に編入されるまで当尾村(塔婆が立ち並ぶ尾根という意味の「塔尾」からきている。) と呼ばれていました。 今日、その歴史的遺産と一体となった自然環境は、「当尾の石仏の里」として多くの人々に親しまれています。』 今回は浄瑠璃寺から岩船寺までバスで移動しましたが、約1.5キロの道を歩いていけます。 そのほうが楽しいと思う。道の途中にいろんな石仏があるので、それを見ながら歩くのも味わい深いでしょう。 今度来るときは絶対そうしよう。 以前から来てみたかった当尾の地区。 あたりのなんともいえないのどかな雰囲気、心を和ませ仏の心を身近に感じられるような場所。 来て良かったとしみじみ思う。 #
by kyoshugei
| 2015-05-29 22:25
| お寺
前から行ってみたかった浄瑠璃寺へ行ってきた。 木津川市の加茂地域にあります。 浄瑠璃寺へと続く参道です。 あたりはとてものどかな所です。 参道の途中にあったお土産物屋さんです。 乾燥してお砂糖をまぶしたイチジクをお土産に買いました。 美味しかった。 浄瑠璃寺庭園の看板(?)です。 特別名勝及史跡とあります。 このひなびた感じ、文字の柔らかさ、いい感じ出してるねぇ。 左側の文「仏さま〇〇です 心静かにお参り下さい」かなぁ。 一部読みにくいけど。ちゃんと見といたらよかった。 浄瑠璃寺の門です。 国宝の九体阿弥陀堂です。藤原時代の創建です。 九体の阿弥陀如来像が安置してあります。 なぜ九体の阿弥陀如来像があるかというと、人間の努力や心がけなどの 様々な条件で九つの往生の段階があるということからです。 下品下生から上品上生までの九段階です。 九体阿弥陀堂は当時、京都を中心に競って建立されたそうです。 藤原道長は浄瑠璃寺創建より以前に浄瑠璃寺より大きな九体阿弥陀堂を 造営しましたが、残っていません。 浄瑠璃寺の九体阿弥陀堂だけが現存しています。 阿弥陀堂内の仏像の写真は撮影禁止なので載せられませんでしたが、 一体一体の如来が堂前に板塀を持っています。 写真の扉の向こうにそれぞれ如来が安置されています。 池の向こうから見た九体阿弥陀堂です。 美しいですね。 『太陽の沈む西方浄土へ迎えてくれる阿弥陀仏を西に向かって拝めるよう 東向きにし前に浄土の池を置き、その対岸から文字通り彼岸に来迎仏を 拝ませる形にしたものである。』(お寺のパンフより) 拝観した当日は、普段非公開の、秘仏・吉祥天女像(重要文化財)が 公開されていました。 ご住職が一年の懺悔をしてからお願いをする仏像ですとおっしゃったので そのように拝ませていただきました。 阿弥陀堂の前にある石造手水鉢です。 池です。 池を中心にしたこの庭園は、特別名勝及び史跡です。 『阿弥陀堂を東に向けその前に苑池を置き、東に薬師仏をまつって浄土式庭園とした。』 (お寺のパンフより) 国宝の三重塔です。 1178(治承2年)平安京・一条大宮から移築されました。 薬師如来(重文)が安置されています。太陽の昇る東におわします。 阿弥陀堂の前の燈籠です。 この燈籠から対岸の三重塔前の燈籠、三重塔が一直線上にあります。 ちょっとこの写真ではわかりづらいなぁー。 三重塔側の燈籠の火袋から対岸の九体阿弥陀堂前の燈籠が見えます。 見えますかね。 鐘楼です。 新緑も綺麗です。 庭園に咲いていた花です。 この花は何でしょうか。 菖蒲かあやめか杜若か鳶尾(いちはつ)か。いつも迷う。 あやめのような気がする。 ネットで調べたら、花弁の弁元の模様が網目状のはあやめと出てた。 写真で見る限り網目状に見える。 浄瑠璃寺どうでしたでしょうか。 仏国を境内に再現した浄土式庭園。 穏やかで神々しく崇高な気持ちになれましたでしょうか。 私はこの気持ちを味わうためにここに来ました。 次は岩船寺へ行ってきまーす。 #
by kyoshugei
| 2015-05-14 21:52
| お寺
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